【自己紹介-1】伝統工芸に触れた20代&基地内大学に通った30代からの続きです。
基地内での社会人大学生ライフを楽しむ私に、ある日転職のチャンスが舞い降りてきました。友人から米軍基地内の非営利団体が職員を募集しているという話を聞かされたのです。
外資系NPOでさまざまな経験をさせてもらう
その非営利団体とご縁ができ、<ツアーコーディネイター>から<企画職>、総務部に入った後は<会計職>に昇格し、最終的には<ディレクター付きのアドミン・アシスタント>となりました。もちろん仕事はすべて英語で行いました。英文会計の基礎知識が身についたのはとてもいい経験になりました。
従業員の環境改善や助成金の獲得などに力を入れる
総務部では日本人の給与や人事も管理することになり、雇用主であるアメリカ人のマネジメントの方々といろいろと協議を重ね、数名の従業員の時給を上げること、有休の繰り上げの承諾を得ることに成功。また、これをきっかけに日本人従業員のことを真摯に考えてくれた組織に貢献したいと助成金も獲得しました。
というのも、私が入社するまで、日本人従業員は一度も年次有給休暇を繰り上げしておらず、数人のパートタイマーは、最低賃金以下の時給で働いていても誰も声をあげないという状態だったからです。
今、思い返してみてもこれまで一番楽しい職場はここでした。どんな悩みも話せる親友を得たので、ある意味私の青春時代でしたね(笑)。
10年来の夢を叶え、憧れの東京へ
きっかけはそのNPOで職員同士が話していた“Yokota Air Base”という単語でした。何かが私の中でヒットしました。
横田基地→東京にある→東京に住める!と思い、履歴書を送りましたら面接に呼ばれ、採用が決まりました(現在の採用方法はわかりません)。職種は「英文会計職」です。前職の経験が役に立ちました。
「これで私の転職人生もピリオドが打てた」と、すごくほっとしたのを今でも鮮明に覚えています。
仕事の内容があまりにも◯◯なことに驚く日々
突然ですが、あなたは仕事が忙しいときと、暇なとき、どちらにストレスを感じますか?私は確実に後者です。忙しいときはあれこれ脳も働くのですが、暇なときはネガティブなことを考えがち。時間の潰し方も模索してはみるのですが(同僚の仕事を手伝うなど)、根本的な問題は解決できなかったりします。
さまざまな仕事を経て、ようやく憧れの東京まで辿りついた私を待っていたのは、想像を超えた単調な仕事でした。
仕事は午前7時半から始まり、午後4時半まで。
自分のスピードで午前中の仕事をこなし、「そろそろお弁当でも注文しようかな」と時計を見上げると、まだ9時半(泣)。つまり1日の仕事を2時間で終えていたのです。
そんな生活がほぼ毎日続きました。
それでも「自分でつかんだ夢だから」と自分に言い聞かせ、コツコツと働き続け、「せっかくの東京生活だからレベルアップしよう」と仕事よりも英語の技術を高めることに力を注ぎました。
「虎の穴」と称される恐怖の翻訳学校にどうにか入学
今の若い人に「虎の穴」という表現が通じるかどうかはわかりませんが(笑)、数ある翻訳・通訳学校の中でもその厳しさから一目置かれる翻訳者養成学校にどうにか入学できました(入学試験で落とされる人も多い)。
まー、そこのレベルがすごかった(涙)。
私が選択したコースは「放送通訳」で講師は現役の通訳者。
授業は毎週Newsweekのカバーストーリーについてディスカッションをするのですが、そのためにはそこに出てくるボキャブラリーはすべて覚えないといけないし、背景知識も知らないと先生の質問に答えられないので、猛勉強しました。基地内大学に通っていたときの「勉強の楽しさ」はまったく感じませんでした(泣)。
*ちなみに同じクラスに今は亡き元フジテレビのアナウンサーの有賀さつきさんもいました。さすが東京と思ったものでした。
単調さからくる仕事のストレスをハイレベルな翻訳学校の授業で忘れようとしていた私でしたが、それがある意味間違っていたことを身体が知らせてくれます。
ある朝、私はベッドの上で動けなくなったのです。
【自己紹介-3】「仕事のストレスが導いたフラワーエッセンスとの出会い」に続きます・・・。